清水組 情報発信ブログ

中国の変化

5/12~16まで訪中しました。約2か月ぶりの訪中です。品質管理、在庫管理、価格の調整等懸案事項は多岐にわたっています。もう、20年近く繰り返し、繰り返しこれらの事柄については中国工場と話し合いを持っています。当社の主要な取引先の工場は約10社、厦門事務所を立ち上げてからは、主要工場はほとんど変えずに今日に至っています。お互いに信頼関係のうえで取引しているのですから、そう簡単に工場を変更するのは得策ではありません。中国の工場の経営も現在では結構大変な様です。日本も厳しいことを理解していただいて、共存共栄の道を探すしかありません。 最近、厦門事務所の近くで地下鉄の工事をしています。去年ぐらいから始まって、あと三年くらいでできるとか言われてます。信じられないスピード感です。 下の写真はG636の鉱山の写真です。ピンク色の鮮やかな石材です。50年位採掘していたようですが、現在は閉山しています。ここに幹線道路を作るようです。人がいない大きな鉱山は映画で見た近未来の都会の廃墟みたいでちょっと寂しい感じがします。地下鉄が出来て近代化する厦門のような都会と、長い歴史を閉じなければならなかった鉱山はまさに中国の縮図を見ているような気になって仕方ありません。 CIMG5047圧 清水 剛介  

天山みかげ

皆さん、ご無沙汰をしています。もう、ゴールデンウィークで休んでいますか?当社はあと10分程で休みに突入です。6日まで5連休です。何して過ごそうかな、2日間のゴルフ以外は全く決まってません。家族とのんびり過ごせる時間をもてればいいのですが、、、 さて、先日、縁あって天山みかげの鉱山を訪問しました。天山みかげと言えば佐賀県の銘石で当社の日本材の中でも結構売れている石です。山の社長に話を聞くと、九州の石屋さんはあまり使っていないとの事です。理由を尋ねると、九州はお墓が大きいので日本材は金額が高くなってしまい難しいとの事です。主に関西から東が主な商圏のようですね。 山の感じは福島県の紀山石、芝山石に似ています。両方の山の風景をミックスした感じです。山の中に大きな玉石が埋まっています。玉で採掘される石は水を吸いにくいと言われますが、なるほど納得です。せっかく訪問したので、無理を言って少し材料を分けていただく事にしました。請うご期待です。 それにしても、髪の毛薄くなったな。 清水 剛介 CIMG4986B CIMG5000B

石材情報 vol.18

今月の始めに厦門石材展示会を見学したことは、先のブログで報告いたしました。訪中時に南安の工場を訪問する機会がありました。そういえば、G616(金山石)の鉱山が南安地区であったと思いだし、急遽訪問する事にしました。先日、’月刊石材’の紙上である中国の貿易会社がこの石を独占販売する権利を得たとする広告記事を見たからです。当社の販売品目にもあるこの材料は比較的単価も安く、水を吸いにくいと一定の評価があります。定期的に発注をいただく重要な石種です。手に入らなくなるのは困ると感じて、実際を探るべく訪問した次第です。2011年に一度訪問した経験があるので、鉱山の社長に連絡を取ってみると、まだ旧正月の休み中にもかかわらず案内をしていただきました。採掘量は依然としてそんなに多くはありません。キズ、ムラが多いので日本向けの墓石材は全体の20%程度で月産1CIMG4804-2000才以下と思われます。採掘した石は、ある程度以前から付き合いのある工場を限定して出荷しています。しかし、一社独占で出している事はないとの事です。今後も独占して特定の会社に出荷する事は一切ないという事なので、取り合えず安心しました。CIMG4812-2

石材情報 vol.17

恒例の厦門石材展示会に行ってまいりました。昨年4月からの石材業界不況によるせいか、日本墓石市場向けの展示はますます少なくなりました。当然の事ながら、展示会を見に来る日本人の姿もほとんど目にしなくなりました。以前なら、ホテルの朝食時に必ず石材関係者と思しき人を見たものです。今回は、ホテルもけっこう空いていたと思います。レストランはあまり混んでいませんでしたので、全体に日本人を含めたお客さんが減っているんでしょうね。 この所、日本の株式市場は活況をみせています。大手企業を中心に賃上げもされるようですね。我々の石材市場は少々これらの大企業とは異なります。今後の持ち直しを期待します。   CIMG4836-2

みーつけた!!

先日、当社のお客様(石材店様)からこんな依頼を承りました。12寸角の石碑の修復の見積もり依頼です。当社の担当者が現地に伺ったところ、なんとその石碑は昭和7年に当社が建てた石碑でした。平成7年は西暦1932年です。なんと83年前。12寸角で蓮華台が付いています。しかも、猫足台もついた見事な石塔です。二基並んで立っている四つ石の裏面には”岡崎市門前町 石匠 清水文吉”と彫刻されています。間違えありません。私のひい爺さんです。もちろん面識はありません。ひい爺さんが83年前に建てたお墓の修復を頼まれるとは、なんか因縁めいたものを感じます。彼の建てた石造建築物は、結構各所にあります。だいたいが昭和の初期に建てた物のようです。蓮華台の形に特徴があります。”岡崎市門前町 清水文吉” あるいは”岡崎市門前町 清水石材”の彫刻がどこかに記されています。亀甲積みの間地石がついている物もあります。清水組石材工業(株)と組がついて法人化されたのは昭和19年ですから、この頃は文吉ひい爺さんが少人数で石屋をしていたのでしょうか?それにしても、なかなかの腕自慢だったのでしょう。誇らしげな態度が思い浮かばれます。 いつか私も自身の名を刻んだ石造建造物を手掛けてみたいですね。 P1000724改 P1000728改 P1000725改

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